うちの会社では新人教育教育の一環としてトレーナー・トレーニー制度というものがあり、1人の新人に対して他部署の先輩が1人ついて、月に1回1時間ほど面談をするという制度がある。
私もこの制度に関係しており、現在他部署の新人を1人見ているのだが、その新人を仮にAさんとしよう。
Aさんと1回目の面談を行ったとき、私はあることに気付いた。それは他の新人たちからは感じないものであり、それは懐かしい感覚でもあった。
管理職となり再び新人教育をやり出して3年目、私の前にダイヤの原石と思える新人Aさんが現れたことにより、私はふと20年前を思い出した。
「昔はこういう新人ばかりだったなぁ」
Aさんと話して感じたもの、
それは
昭和スタイルだ。
このAさん、なんと両親ともにIT畑一筋のエンジニアで、しかも誰もが知る大手IT企業。さらにご兄弟も現役エンジニアというサラブレッドである。
小さい頃から当たり前のようにIT業界に触れており、業界の黒歴史も知っていて、3K・7Kはじめ業界のネガティブなことに触れてもビクともしない強いメンタルを持っていた。
技術に対する探求心も親譲りなのだろう。分かるまで徹底的にやるという、エンジニアに最も必要なスピリットを既に持っていた。
まさに昭和スタイルである。
私が新人のころはGoogle先生が頼りなかった。
技術書は当たり前のように英語だった。
なので、
なにか突っ込んで調べようとすると必然的に時間がかかった。
不眠不休で調べた。
徹夜でバグ取りした。
家に帰れなかった。
技術というものは自分で掘り進めて得るものである。人から教えられたものは意外と早くに忘れてしまうが、自分で苦労して調べたり試したりして得た知識と経験はしっかりと身につくものだ。
私はそのことを尊敬するメンターから学んだ。
古臭いかもしれないが、品質の良いソフトウェアを作ろうとするとどうしても時間がかかるし、残業してでも良いものを作りたいと、私は思ってしまう。
なぜこんな風になってしまったのか自分でも分からないのだが、売り物としてシステム開発する以上はしっかり作り込まないと気がすまないのである。
学生時代はもっと適当だったはずなのだが・・、不思議なものである。
かっこよく言えばプロ意識が芽生えたのだろう。
この辺の考え方がワークライフバランス重視のZ世代の子たちと全然違うところで、最近の若手を見るとできるだけ仕事を少なくしようとする子が多いこと。
そりゃ、時代としては正しいと思うけど、100の仕事を60でやって楽しいのだろうか。。。
アツくなれるのだろうか?
もう少し突っ込んでやればもっと性能、品質が良くなるかもしれないのに必要以上に攻めない守りの姿勢に正直悲しくなるときがある。
100のものを100で作ってもプロである以上それは当たり前のことであり、当たり前にお金を受け取ってそれで終わりだ。
が、
100のものを150で作った場合はお客様の反応が変わるときがある。
昔、うちのソフトウェアを使ってくれているお客様から「この機能を改善してもらえないと他社に乗り換える」と言われたことがあり、やり取りしている担当者から「上はああは言っているが私は継続して御社のものを使いたい」と面等向かって言われ、本当は断れたのだが、付き合いの長い担当者の思いに応えるため、私は無茶を承知で攻めに出た。
もうガチガチに組まれているプログラムで手の施しようがなかったのだが、既存の処理を残して、発想を変えた新しい処理をバイパスすることによりなんとか先方の希望する改善ラインまでこぎ着けた。
担当者はとても喜んでくれた。
そして他社への乗り換えの話が無くなった。
それまで機能改善のクレームが散々あったけどそれも消えた。
今でも私は100のものを150で出せるようにベストを尽くしているつもりだが、相変わらず残業して睡眠時間も削って、自分の身も削っている。
アラフィフだし、いつまでもこんなスタイルは続かないと頭では分かっているつもりなのだがやめられない。
話を戻そう。
昭和スタイルのAさんと面談していると昔を思い出すのだ。
時間がかかっても良いから自分が納得のいくまでやる。
フレームワーク全盛の世の中だというのに、Aさんはあえてフレームワークをキャンセルし、まずは一から手で作りたいと言ってレンタルサーバー借りては黒い画面に白い文字を打って週末格闘している。
私が新人のころ、私の周りはそういう人ばかりだったんだけど、今ではなかなかそういう若手と出会えない。
先輩から「今の子に昭和スタイルは通じないよ」とよく言われるが、その通りだと思う。
場合によってはただのパワハラになってしまう。
とはいえ実戦ではGoogle先生が教えてくれないことが山ほど出てくる。
残念だが私の知る最近の若手はそういった状況になると負けてしまう。
だから、
自分で調べて自分で掘り進む手伝いをするようにしている。
人が作ったものをただ使っているだけではいずれ喰われてしまう。
それを利用して新たなものを作り出さなければならない。
次回のAさんとの面談ではそんな話をしたいと思う。